2015年1月14日水曜日

PSY-CHO PASS〜サイコパス劇場版私的分析(ネタバレ有り)

 




以下ネタバレ










 

















 先日サイコパス劇場版を新宿に見に行ってきました。
本来であれば公開前日のレイトショーを・・・と思っていたのですが3日前にはすでに完売、仕方がないので土曜日の夜の回にで(公開当日)拝見しました。
話の構成は一期さえ見れば違和感なく見れる程度のストーリー構成でした。(一部メンバーに違和感を覚える方もいるかと思いますが)個人的にネタバレは全然大大丈夫な方ですが本作だけはあまり....と思いあえて前情報なしで拝見、一気にのめり込みました。
 正直今年No,1のアニメ映画でしょう。(今年はまだ10日しか経っていない)



ストーリー

 ストーリー構成において脚本家は虚淵、深見両氏(以下敬称略称)のツータッグ。幻想的かつ現実味溢れるストーリー構成を得意とする虚淵と現実的かつグロテスクなまでに人間味溢れるキャラクターたちの流れを構成する深見の絶妙なバランスにとても酔い知らされた。武器の1つとっても実際に武器を販売する業者、軍人(米海軍特殊部隊監修)のもと制作された映画「ネイビーシールズ」を彷彿とさせる武器使用にも惚れ惚れとさせられる。(また本作は田村装備開発監修)100年後という世界にも関わらず格差は存在し、最先端のロボットと過去の兵器(現在の最先端武器)をもとにゲリラ部隊が交戦するシーンはなんとも皮肉である。また武器に関して言えば国内でありながらゲリラはアメリカ製のものを、SEAUnはロシア製のものを使用し西側と東側で文化面でも対立がある事を示している。(民主主義対社会主義)それらの点から非常に細かいところまで配慮が行き届いている事がうかがえる。


個人的な見どころ
























 私が特に意識を向けたのは"ルタガンダ"という傭兵である。声優は石塚運昇。彼の立ち振る舞い、さらには人種はなき日のフランツ・ファインを彷彿とさせる(また登場シーンにて彼はファインの地に呪われた者を愛読している)。ニコラス・ウォンという極めて自己顕示欲の強いキャラクターに近い存在でありながら実はウォン以上に野心家でゆくゆくは軍閥を仕切りたいと願っているがそれを覆い隠すが如く身につけたファインなどを初めとする文学に対しても精通している姿、また緊張感のある場面でも余裕を垣間見せるが如く用いられるユーモアな発言の数々は彼の一番の魅力だ。


音楽

 また音楽に関してもアニメ本編から引き続き、菅野氏が担当している。私はアニメ一期ラストシーンにて描かれていたハイパーオーツ畑での狡噛慎也と槙島聖護とのやり取りの際に流れる「楽園」に深い感銘を受けたのだが(余談だがこのシーンは30回は見た)彼の作り出す音楽は見事にサイコパスの世界観におけるシヴィラシステムが織りなす空気の冷たさと執行官や監視官に流れる情熱的な血の躍動を見事に描き表している。それは本作映画でも同じものであった。(余談だが3月18日に2&劇版サントラの発売が決定している)


狡噛慎也は変わったのか?

 果たして狡噛慎也は逃亡後、変化してしまったのか?という問いに関してだが狡噛慎也は変わったと言えば変わったが、変わっていないと言えば変わっていない。狡噛慎也は本作においてゲリラサイドの戦闘指導教官という任を得ている。これは所属が公安からゲリラへと変わったことによる1つの変化要素だ。さらに映画本編では槇島を殺害したことによる(本作における"死人は黙ってろ!!"というセリフより推測)事で槇島の幻覚、幻聴を聞く、見るするなど異常を来している節がある。これも1つの変化だ。しかし狡噛慎也というキーを支える一番重大な要素は”常に目の前のことしか見ていない”ことにある。
 例えば大局的に常守朱は”みんなを守る”という意思を見せるがこの中には何千何万という膨大な数が含まれており、自分の身の回り以外の人間も換算されている。此の事が彼女の犯罪係数の低下や2期においてのセラピー襲撃事件後の取り乱しや祖母殺害後の変化に繋がるのだが、狡噛慎也自身は常に目の前の変化にとらわれがちで自分の外に対する関心はゼロに近い。
しかし犯人などのように少しでも自分に関わるのであれば自分で対処しようとするあたり、まさに猟犬そのものと言えるのであろう。そういった点でも猟犬であることには変わりないが人間としては変化している点は多く、要所要所での変化は確認できる程度の変化はある。

常守朱の場合は?

 彼女の場合は大きく変化していると思う。社会(シヴィラ)の統治する世界の真実を知ったことからの変化とも言うべきだろうがいい意味でも悪い意味でも世の中を見極め割り切れる存在となっている。Twitter上でだんだんと彼女の顔つきが変わっていく検証画像が挙げられていたが彼女は強がりシヴィラに追求するシーンも多いもののあまりにも膨大な重りを背負わされているようにも感じざるを得ない。




本作一番の魅力

 シヴィラが支配する社会である日本の問題点を1期2期で続けざまに展開しておきながらそれに反する旧来的な人間統治を行っているのがシャンバラフロートを見せるのは反則的に感じる部分も多い。結局人間が統治する故に発生する問題点(M・ウェーバーを引用し雑賀教授が述べていた理想的な官僚に反するもの)がシャンバラフロートでは起こり、苦しい生活を余儀なくされている人が大勢いる。完全なる社会は存在し得ないという現実は彼女を来国早々苦しめる。また、そうした社会を常守朱に見せるのはシヴィラに贖っていた槇島を肯定せざるを得ない状況に追い込むことに等しい。人間は正しいことを一般的に望むものの、その生物としての未熟さから常に正しい事を実現できるとは限らない、更には常に1つの思想を貫けるわけがない。またラストシーンにおいて銃殺される目前でのシヴィラシステムの介入(正確には仲間の助け)は彼女が1期で登場した新人の頃よりも進化したものの、まだまだシヴィラの手の中でしか踊ることができなかった事を指し示すシーンでもあり、彼女にとっては最大の屈辱となったことだろう。




















 本感想は諸所、パンフレット(1,200円)を参考に練り上げたものである。
"いい映画はパンフレットを買え"と言うがこの映画に関しては見るまでもなくハイレベルかつ思想を刺激されるいい作品である。ぜひ劇場に行った際には見る前にパンフレットを購入、見終わった後に一読してもらいたいものである。



























新宿にて(西口から東口に向かう途中に)犯罪係数を実際に計測できる(1000万かけて作ったらしい)映画広告的とも取れるエンターテイメントアトラクション(さら狡噛慎也の私物)が展示させられている。1時間待ちなどであったため私は計測できなかったのだが機会があればまた映画を見い行った際、新宿に用事がある際に計測してもらいたいものである。(おそらく執行されるが、エリミネーターで)


ではまた後ほど